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四国八十八箇所巡り、いわゆるお遍路を計画しよう!

困難に立ち向かうことで、

人生が彩られる。

お遍路の意味、目的

お遍路の主目的、本当の目的

トップページお遍路とは?>お遍路の意味、目的

お遍路とは、四国に点在する88個の寺を廻ることを言います。
全国的にも寺を何か所まわる風習はありますが、
特に
四国の八十八箇所の寺を廻ることだけをお遍路と呼びます

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寺に訪れるだけでいいというわけではなく、
寺の施設の本堂と大師堂の2ヵ所でお経を唱えて仏様にあいさつしていきます。
お経を唱えることで心を清く正しくし、功徳を積むのが本当の目的です。


功徳(くどく)とは、
「良い行いには優れた結果をもたらしてくれる力があること」
を言います。

お経を唱えて心を清くしていく良い行いには、
結果として良い報いを受けるということです。


良い報いを受けたい→心を清く正しくしよう
ではなく、
心を清く正しくしよう→意図せずとも勝手に良い報いが舞い込んでくる
になります。



「寺の門の前に着いたからこの寺は制覇!」
みたいにお経を唱えないのはお遍路ではありません。
ただの山門巡りの旅です。


だいぶ前に「水曜どうでしょう」という番組で大泉洋がもう閉まっている寺の山門の前でポーズを取って、その寺に行ったとしていましたが、テレビ的には面白いけど、それはお遍路ではありません。




あるいは、こういう例もあります。

お経を納めたということで納経帳という本に各寺でサインしてもらいます。

この納経帳は物理的にお遍路の後に残るので明確な成果になります。
だから、たまにサインをもらうことが目的になってしまう人もいます。
(そういう人達は通称「スタンプラリー」と呼ばれています)


納経帳は結果を記録していくだけの「物」に過ぎず、
心を清く正しくできるのは実際にお寺に行って仏様にお経を唱えられる道中にしかできません。



もしかしたら、イマイチ理解できないかもしれませんが実際にお遍路に出てみれば大丈夫です。
お遍路の前半はあまり感じないと思いますが、お遍路も30寺くらい参拝してくると、本堂と大師堂で2回お経を唱えているときが一番達成感があって心が安らぐ気がすると思います。


これは私の経験上の話なので全ての人がそう感じるとは限りませんが、私は心の平穏を感じられるようなそんな不思議な力がお遍路にはあると今は感じています。



論理的に考えてみると、自分の知らない世界を実際に体験しながら理解していく知的好奇心的な部分、日本の伝統的な文化を通して成長している自分がいることへの達成感、心の心地良さみたいな心理もあるかもしれませんね。


付随的な目的、独自の目的

・お遍路を通して新しい自分に出会いたい。
・お遍路を通して自分に自信をつけたい。
こういうのは個々の人が勝手にプラスした目的なので本来の目的ではないです。

もちろん、各個人にはお遍路に色んな価値を見出して
独自の目的をプラスして旅に出ますのでそれは別にかまいませんが、
その独自の目的が主目的になってしまうというのはちょっと違うと思います。


重要なことなので本来の主目的は覚えておいてください。

次のページの「お遍路の動機」のページでさらに詳しくどういった目的を個人が付随してお遍路に出ているかを紹介していくので、のちほど確認して頂ければと思います。


私の場合のお遍路の目的

私のお遍路の動機は「日本の文化であるお遍路に1回は触れておきたい、ついでに四国を一周する間に観光もかねて色んなところを回りたい」という目的でお遍路に出ています。


つまり「仏教にかなり疎い若者がほとんど何もわからずお遍路に出た」というような状況です。


当時26歳の時は「日本人なんだから海外旅行に行く前に日本のことを知っていないと恥ずかしいぞ」と思って日本の47都道府県を廻ってから海外に行こうという考えがあって、日本の各都道府県を35個くらい廻っていたような状態でした。


四国に行く機会はなかなか無いので、せっかくなら時間をたっぷりとって、お遍路を通じて四国4県を観光しようという感じでした。


当時は26歳で今ではだいぶ年月が立ちましたが、それでもお遍路で経験したことは自分の人生のとても貴重で大切な時間だったなぁと今でも強く思います。


お遍路を通じて、今では何も見ないで般若心経を言えるようになりましたし、仏教の宗派とか知る良い機会にもなりました。


またこういう多くの人が信じている宗教の世界を知っておくことは相手を理解することにつながって平和な人間になれると思うようになり、地球規模で見たらベストセラーの聖書を読む動機にもなったりしています。
今後も死ぬまでにはコーランなんかも読んでみたいとか思っています。


お遍路を終えた今や聖書を理解した今でも私は何も信仰しておりません。
自分を救えるのは自分だけだと思っているので何かの神に自分の人生をお願いすることはありません。
文化を理解したいという知的好奇心という部分で行動しているので、今後ちなみに変な宗教にハマるようなことにはならないので安心してください笑


知的好奇心という部分で聖書の解説のホームページも作成したので、世界で起きていることを理解したいという気になる人は見てみて下さい。
私はキリスト教を信仰していない一般人という視点で書いているので、中立的な立場で紹介出来ている面白いサイトで、自分でも驚くほど多くの人に見てもらっています。

聖書ホームページ
一般常識としての聖書解説

宣伝っぽく聞こえちゃうけど、同じ知的好奇心を満たしてほしいなという「これ面白くない?」という観点で紹介していますので悪しからず。

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